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古来から、畳表の中でも最高とされるのが中継ぎ表です。
現在では、寺院・名家の茶室などにしか使われない畳表だと思います。
備後産地の山合いで育った丈が短く身の詰まった地草を、中央で2本つないで織る独特の手法
です。
当店は、故四代目も茶道を嗜んでおり、その関係で昔から茶室の仕事を多く承っておりました。
私が子どもの頃、よくヒゲ(中央の交差した部分)をむしらせてもらった記憶があります。故四代
目に「引っ張ったらダメ、手前に回してサッとむしるのだぞ。」と言われたことを覚えています。
畳に縫い付ける時、このヒゲを取り除きます。この面は裏側になるのですが、根元から綺麗に
千切らないと、藺草が僅かに残ってしまいます。後に裏返しをする時に、見栄えが悪くなるわけ
です。
またこのむしった藺草は、昔は高級な鰹節の下に敷いたそうで、乾物屋さんがよく取りに来られ
たそうです。

以前にもブログに書きましたが、唯一の手織り機(ておりばた)で織られる寺岡文子さんが亡くな
られてからは、手織り中継ぎ表は幻の畳表になってしまいました。
今では福山市の来山淳平さんが、その工法を伝えるためにデモで織られる程度で、製品として
織られる方はいません。
寺岡さんの意思を受け継がれた廣川宏志さんが、メーカーと共同で藺草織機を改良し、動力で
織ることを可能にされました。現在、福山と熊本に1台ずつ織機があるようです。

当店に1枚だけ残っている寺岡文子さん手織りの四配表と、廣川さんの動力織りの中継ぎ表を出
して比べてみました。


まず動力織りです。この表はH17年に京都御所の修繕に使用された中継ぎ表でなので、おそ
らく廣川さんの中継ぎ表の中でも最高級のものです。

↓ ヒゲが交差しているのを除けば、普通の畳表と比べて見た目の違和感は少ない。
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↑ さすがに動力。藺が詰まり綺麗な面は、引通し表(つないでいない畳表)を彷彿させます。

廣川さんは通算6回の農林水産大臣賞を受賞。
平成19年には農林水産祭天皇杯内閣総理大臣賞も受賞されました。
廣川さんの中継ぎ表は、宮内庁管轄の重要建造物に多く納入されています。
数年前には、外国からの要人を接待する京都迎賓館の「桐の間」にも納入されました。
この時は藺田の管理や畳表の仕上げが大変だったと、本人からお聞きした事があります。


そして寺岡文子さん手織りの中継ぎ四配表です。約20年前に購入したものです。
寺岡さんが織られている様子を記録したドキュメント映像を見ても、完成するまでの手間のかかり
ようは、半端ではありません。技術はもちろんですが、途方もない準備、手間、根気が必要な作業
です。1枚織るのに数日を要します。
寺岡さんの手織り機は、廣川さんが保管されておりました。以前に工場にお邪魔した時、何とか手
織り中継ぎ表を普及できないのですかと聞いた時、「わしには織れん」と真顔で言われました。
廣川さんですら「できない」と言われるのですから、その大変さは尋常ではありません。

↓ はっきり言って、琉球表に近いです。私が見る限り、「綺麗さ」という点では、動力織りや長引表
 にはかないません。しかし「丈夫さ」という点では、この手織り表の足元にも及ばないと思います。
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四配中継ぎ表の幅は3寸大(3尺3寸)あります。現在の京間用畳表よりも2寸(四目)
大きいです。耳毛も使えば、幅4寸7分大の畳ができます。その時は、端に見える
経麻の山を叩いて使います。

↓ ネットでもまず見かけない、動力と手織り中継ぎ表を並べた貴重な写真。
経糸の麻だけを見ても、天然麻の皮を剥いで水に浸し、木槌で叩いてなめしたものを
噤んで作られています。動力織りが物足りなく見えてしまいます。
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↓ 比べてみても、貫禄が違います。見ただけで厳つい手織りの感じが伝わります。10_11_23_5

悲報
先日、廣川さんが急死されました。
信じられませんでしたが、67才というあまりにも早い若さでした。
備後産地の顔として、一生懸命働かれました。唯一、地草で畳表を織る事ができた方でした。
本当に残念でなりません。もっともっとやりたかった事がおありになったのではと思います。

今から5年前、「廣川さんの長引表を見せて頂けないでしょうか。」と、何の連絡もなく
私は廣川さんを訪ねました。
たぶん廣川さんはどこの若造が、何しに来たんかと思われたと思います。
廣川さんは備後表の第一人者という威圧感が(私の方に)あり、聞こうと思っていた1/10も
話せませんでした。
それから毎年秋の品評会に合わせて3度足を運びました。
廣川さんが私を見つけると近づいて来られ、
「岐阜からはるばるわしの表を見に来てくれたか。」
と笑顔で話しかけられました。
「私の事を覚えていてもらえた」と、とても嬉しかった記憶があります。

快く許可を頂き、廣川さんの品評会の畳表の写真から、当店用のポスターを作りました。
後日同じ物を差し上げた際に廣川さんから電話があり、
「素晴らしいものをありがとう、さっそく工場に飾ったけん。わしができることは、
わしの織った表を贈ることぐらいしかできんけんのう。」と言われ、
お礼として今回の中継ぎ表を送ってこられました。

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もちろん当店に、寺岡さんの手織り中継ぎ表があることなど廣川さんは
ご存知ありませんでした。
そして廣川さんからお礼を頂くなど考えてもいませんでした。
それが中継ぎ表。
今から想うと、寺岡さんの表に引かれた縁だったのでは......と強く感じます。

↓ 寺岡さんが織られていた当時、廣川さんが藺草を届けておられました。
ですから寺岡さんの手織り表にも、廣川さんの備後証紙が入っています。
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共に備後畳表というブランドを背負ってこられた、お二人。
幻の中継ぎ表となってしまったこの二つの中継ぎ表は、二つ一緒に大切に保管します。
言わば師弟とも言えるお二人は、今頃天国でお会いされている事でしょう。

「石河さん、畳表はヒゲが長ければ良いというものではない。」
今でも廣川さんに言われた事が印象に残っています。
今思うと、おそらくひのみどり草の事を言われていたのではないかと推測します。
生産者や作付け面積が減っても、最後まで備後地草にプライドを持たれていました。
廣川さんとお会いできたことで、私の備後地草「せとなみ」への思い入れが深まった事は、
言うまでもありません。
短い間でしたが、廣川さんありがとうございました。

心からご冥福をお祈りいたします。

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